らあめん厨房どる屋
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良いお年を
主人はとんかつが好きです。
結婚前、一緒に食事に行くと、毎回毎回とんかつ屋さん。よくある「今日は何が食べたい?」なんて聞かれたことは一度もありません。
新婚まもなくのある日の朝、「今日の夕ご飯はとんかつにしようかなあ!」って私が言ったんです。
でもそんな日に限って店が忙しく、夕食の支度を始めるのが遅くなってしまって、疲れてるし、夜10時過ぎにとんかつを揚げるのもきついなあと思い、とんかつはやめて別の簡単な料理を作って主人の帰りを待ったのでした。
帰ってきて、テーブルの上に並んだ料理を見るなり
「とんかつじゃない!」
「何でとんかつじゃないんだ!」
「とんかつが食べたかったのに〜!」と、
怒るというより嘆くという言葉の方がしっくりくるような、ため息まじりの嘆きがしばらく続いたあと、「夜はとんかつだ!と思って一日頑張ったのに~!」とまるでこの世の終わりかと言うくらい落胆する主人。
「子供みたいなあ~なた〜♪」と、まるでテレサ・テンの「つぐない」みたいな、主人の性格を表すのにピッタリなとんかつ騒動から早33年。
4年前、娘が父の跡を継ぐために会社を辞めて、東京の料理の専門学校に入り、卒業後、沖縄のホテルで修業をして3年目になります。
父の跡を継ぐとは言っても、ラーメン屋ですし、娘ですし、なかなか厳しいし、将来のことはわからないと当時から私は思っていました。親元を離れ、すぐには帰って来られないような沖縄の離島で仕事をしながら、自分の将来の思いも変わっていくこともあるだろうと。
特に最近では、充実した日々を送っているので、今の仕事を続けたいという娘の気持ちを尊重してあげたいという私の強い思いがありました。
ただ主人は、とんかつ騒動でもわかる通り、一度そうと決めたら考えを変えない人なので、会う人、会う人に「娘が跡を継ぐ」と言っているので、その度に「まだ先のことはわからないんだから言わないで欲しい」ということを私は言い続け、時には喧嘩に発展することもあったのですが、ある日、主人が珍しく静かに私にこう言ったのです。
継ぐ継がないは本人次第だから無理に継いでくれとは思っていない。ただ俺は一回でも継ぐと思ってくれたことが本当に嬉しかったんだ。それだけで幸せなんだ。
そうか、嬉しかったのねと、私はようやく主人の言ったことが理解できました。
娘がよく言うのは「気持ちはお父さんの跡を継いでるよ」と。それで充分です。
今年、25年ぶりのラーメン登龍門でお世話になった新横浜ラーメン博物館の岩岡洋志館長のお姉さまは女優の五大路子さんです。
その五大路子さんが以前テレビでご主人の大和田伸也さんのことを「同志」とおっしゃっていたのを拝見したことがあります。ご夫婦だけれども「同志」いい響きの言葉だなあと五大路子さんのお話を聞いて思ったことがあります。
私にとって娘は、生まれた時からラーメン屋の娘として、一緒に苦楽を共にしてくれた、まさしく同志。継ぐ継がないに関係なく、どこに居ようとどんな仕事をしようと同志であることに変わりはありません。これからもきっと私たちを助けてくれると思っています。
2ヶ月程前、新聞の片隅に「73−65=8年」と主人が書いたであろう文字を見つけました。
私にはその意味がすぐにわかりました。
「健康寿命73−実年齢65=8年」
あと何年ラーメン屋が出来るかを本人もすごく考えているようですが、先の事は誰もわからないので、とりあえず2年半後の第3回ラーメン登龍門の出場を目指して頑張るようです。
今年もどる屋をご愛顧頂きありがとうございました。ラーメン登龍門の応援もありがとうございました。また、主人の腰痛を心配して頂きましてありがとうございました。来年もまた2人で頑張りますのでよろしくお願いいたします。
来年が皆さまにとって幸多き一年になりますように。
良いお年をお迎えくださいませ。
大晦日もお待ちしております。